2020年度 ゼミ合宿活動報告 浪岡新太郎ゼミ

YISAでは国際学部のゼミ合宿への補助を行っております。

昨年のゼミ合宿の活動を報告いたします。

2020年11月20日〜2020年11月21日 浪岡新太郎ゼミ/ 静岡県伊東市

19KS 岩澤さん

合宿日時;   2020年  11月  20日〜  2020年  11月  21日

合宿地 ;伊豆高原 日の出屋

合宿内容;1日目は『やさしさの精神病理』大平健 著 〜第3章ポケベルのささやき〜と
「白手帳と寄せ場・寿町の現在」「山谷」政策上映委員会についてディスカッションした。

2日目はゲストの荻村先生のワークショップで震災の避難所でシミのついた下着を渡され
怒っている男性に対してどう対処するか。森永ヒ素ミルク中毒によって障害が残ってしま
った少年を描く『はせがわくんきらいや』などについて扱った。アイスブレイクとして
ミニレクリエーションを行い、どのように人と打ち解けるかなど学んだ。
 
 
今回の合宿
『やさしさの精神病理』の第3章は女性の方が収入が高いがお互いに劣等感を抱く夫婦
の話だったため、男女平等などのフェミニズムの話になった。その中で女性と男性が平等
な関係を築けている「ケース」はあるが世間全体が男女平等になる日は来るかという質問
が印象的だった。私はいつか来るだろうと考えていたが以外にも来ないだろう、実際には
無理だと考える人も多いようであった。『白手帳』は寿町をメインに生活保護者や
路上生活者に焦点を当てた文献だ。路上生活者に暴力を振るう人やいいイメージを持た
人もいる中でどういったことをすればイメージが改善するかなど意見交換をした。私は
誰しも生活保護を受ける可能性があることを指摘したが、意見交換の中で家庭環境や健康
状態、学歴によって生活保護受給者になりやすい人となりにくい人の傾向があることを学
んだ。
2日目はゲストの荻村先生のワークショップをメインに行った。1日目に行った『白手帳』
に関連して、荻村先生はそういった生活保護受給者の方にインタビューした経験が
あったため、どのように初対面の人と打ち解けるか、話しやすい場を作るかなどを学んだ。
初対面の人と打ち解けるためにはまずお互いを知ること、自己紹介の他に自分について
知ってもらいたいことをのべると良いと学んだ。
 
    

19KS 藤中さん

合宿内容;
20日:浪岡先生からのお話し、ゼミ生のレジュメ発表(やさしさの精神病理3章、「白手帳」と寄せ場・寿町の現在)、レジュメに基づいたディスカッション
21日:浪岡先生からのお話し、萩原先生による授業
今回の合宿で得たこと:政治共同体の中の支配というのは、その支配(自分の意に反していたとしてもルールを強制されること)が、いかに納得がいくものなのかが重要である。お互いの利害関係を考慮しているものなのか考えなければいけなく、その利害というもの
は、階級(お金)、ジェンダー、エスニシティ(言語、民族、宗教)によって考えることができる。しかし、同時に一人一人、個人に適しているかは不明である。例として、
ムスリムはイスラーム教を信仰する人々として考えることはできるが、豚肉やお酒などの

禁止されているものを食べ、飲むことを一切しない人々、気にせずに食べ飲みする人々も
存在する。
やさしさの精神病理 (妻の「うつ病」らしき症状に悩み、精神科の受診に訪れた旦那さんのストーリー、さらにその後に精神科に訪れた奥さんのストーリー)
関係(きずな)を持ちたい、けれどもお互いを拘束(ほだし)したくはないし、されたくもない。しかし、親密な関係の中で、拘束(ほだし)なしの絆は可能なのか?さらに、
この本は、1980年代に精神科に訪れた人々について書かれているが、この夫婦は旦那が仕事を辞め、司法試験の勉強をし、妻が働き、彼を養っている。彼らは、お互いジェンダー規範に基づいた劣等感(旦那は、妻(女性)に養ってもらっている劣等感、妻は、自分よりも若く容姿端麗な旦那に対する劣等感)をお互いに対し持っている。
このような妻が旦那を養う関係は、1980年に顕著にあったジェンダー規範にのっとっていないが、この章の最後で妻が「子供を生もうかな」と発言したために、やはり社会のジェンダー規範に戻っていくのではないだろうか。そして、そのような夫婦の不仲の解決策のための出産は果たして良いものなのか。一方で、女性/男性ならこうあるべきといったジェンダー規範にのっとった夫婦の役割分担を行ったほうが、この夫婦のようにお互いに対し劣等感を持つことが少なくなるため、役割を決めることは「より楽な選択」なのではないだろうか。
「白手帳」と寄せ場・寿町の現在 個人がどのようなことに関心を持つかどうかは、個人によって違うが、外からどのようにその個人が思われるかというのはパターン化する。その上で、路上で生活を強いられている寿町の人々は一方的に決めつけられ、彼ら一人一人は多様であるが、決め付けられることによって多様性は見えなくなる。
国は国民に対し最低限度の生活を保障しているのにも関わらず、路上で生活をする人々がいるということは、日本という共同体のルールで人が路上に住むことは良いとしていると
いうことである。その異常性について考えなければいけない。