一番右のワイシャツの学生が杉野さん

取材日:2021/02/13

 

▽なぜ国際学部に入ったのですか?

 両親がドキュメンタリー番組をよく見ていたので、小さい頃からいわゆる「途上国」の子供たちの映像などをよく見ていました。その影響で、「自分も将来こういう所に支援しに行けないかな。」と考えていました。でも、中高共に公立の普通科だったので、そういったプログラムが無く経験できませんでした。また、祖父から「戦中はひもじい思いをした。」という話を聞き、語弊があるかもしれませんが、戦争が起きたら人間はどのように死んでいくのだろうという「怖いもの見たさ」のような感覚から戦争についても興味を持っていました。

 そのため、大学選びの時は様々な大学の「国際学部」を調べていたのですが、父の紹介から明治学院大学の事を知りました。明学のホームページを見ると「平和研究」に力を入れている事が分かり、「自分がやりたい事は、これかもしれない。」と思うようになりました。特に、高原孝生先生の名前を知り「この先生の下で勉強したい。」と思い、明学の国際学科に指定校推薦で入学しました。

 指定校推薦が決まった後に、本を5冊読んで感想を書く課題が出ました。その時、大学入学前から興味があったハンセン病についての本を読みました。入学後に助川哲也先生の授業で学び、「国際平和研究所」の方にに「ハンセン病問題」について教えて頂いたり、多磨全生園に行ったりする機会があり、大学では自分が関心を持った事の多くを勉強できました。 

助川哲也先生の授業で全生園を訪れたとき 園内にある「なごみ」というお食事処で映画『あん』に登場するぜんざいを食べているところ

 

 

▽力を入れて取り組んでいる活動は何ですか?

 私は、「JUNKO Association」「Peace☆Ring」「ヒバクシャと出会うカフェ」の3つの活動に主に力を入れていました。

 

 まず、1年から3年までは、「JUNKO Association」というサークルに所属し、ベトナムとミャンマーで主に教育面のサポートをしました。

 幼少期から興味があった「『途上国』支援」ができる事や、高校の先輩が所属していた事などを理由に参加を決めました。大学では「人脈を広げる事」を目標にしていたので、縦横の繋がりが強いとされる、SNSの投稿や国内でのイベントなどを企画する広報チームに入りました。

 現地での交流を企画する「ベトナムチーム」や「ミャンマーチーム」などに入ると、基本的に片方の国に行くことがメインとなってしまいますが、広報は現地で、現地や交流の様子を撮影するという役割を担っているので、両方の国に行く事ができ、私はベトナムに5回、ミャンマーに3回行きました。今考えると、初海外でよくこの2ヶ国に行ったなと思います(笑)親からも、治安や衛生状況などについて少し心配をされましたが、そのようなイメージを変えたいなと思い、現地での経験や見てきたもの、出会った人々のことを自分の言葉で友人や家族に伝えました。

 

 私は、中学はソフトテニス部、高校はチアリーディング部に所属し、いわゆる「体育会系」だったので、「先輩や先生のいう事が絶対。」という考え方を強く持っていました。なので、ここでも先輩方に言われた通りに作業を進めていました。ですが、先輩から「自分の意思はどこにあるの?何がやりたいの?」と言われてしまい、今までの考え方との違いにすごく悩んでしまいました。私自身あまり拘りがあるわけではないので、「自分は何がしたいのか?」とよく考えるようになりました。

 2年生の終わりから広報チームのリーダーをやらせていただいたのですが、やはり私は明確なビジョンを持っていなかったので、チームのメンバーを路頭に迷わせてしまいました。メンバーたちには申し訳なく思っていますが、この経験を通して、「私はリーダータイプではなく、リーダーを支える事が向いているんだ。」と気付く事ができました。自分の向き不向きを大学生の内に気付けた事は良かったなと思っています。

 また、社会人の方や、ミャンマーやベトナムの方々、他大学の学生など、多くの人と出会い、人脈を広げられた事が魅力的でした。様々な人と関われたので、自分から話しかける事もできるようになり、コミュニケーション能力が上がったかなと思います。

現地での活動を撮影しているところ

 

 「Peace☆Ring」というサークルでは学生メンバーと「国際平和研究所」が共催し、時事問題やメンバーが興味を持っているテーマ(2020年度はコロナ禍での差別、セクシュアリティ、戦争の伝え方、タイの学生運動やミャンマーの総選挙など)について自由に考え、話し合う「Café du PRIME」という場を作ってきました。また、第五福竜丸展示館でボランティアとして船の大掃除に携わらせていただいたり、「ハンセン病問題」について学んだときは多磨全生園にフィールドワークに行ったりしました。

 この活動では、自分の興味や関心を皆とシェアし、世間一般ではタブー視されるようなテーマも安心して話し合える環境が有難かったなと思っています。

第五福竜丸展示館にて船の甲板を掃除しているところ

 

 そして、4年生(2020年)の夏「ヒバクシャと出会うカフェ」という、被爆者の方と知り合いの2,3人がオンライン上で交流する場を友人と企画しました。

 その時、参加してくれた友人に参加理由を聞くと、「沙歩が企画していたから。」と教えてくれました。その時、私は問題に対して精力的にに活動する人と問題に少し興味を持った人のクッションになるような存在になりたいと思うようになりました。

 社会問題解決のためには、大きな声を持った活動家は間違いなく必要な存在だと思います。ですが、興味を持ち始めた人にとっては、そのような活動家を見ると「私にはやっぱり難しいかもしれない。」と距離を置いてしまう可能性もありますよね。なので、私は大きな団体には所属せず、身の周りの人を巻き込む活動を地道に続けたいと思います。

広島で胎内被爆をされた方と交流したとき

 

 このように、私が積極的に行った活動を話すと、「偉いね」「意識高いね」と言われることが多いのですが、私は別に「すごい事」「素晴らしい事」をしていたわけではないんですよね。

 たまたま私が、興味があって熱心に活動したかった事が社会問題に直結することや政治分野であっただけで、力を入れている活動は人それぞれだと思います。例えば、メイクに興味を持っている人はメイクについて勉強して色々なメイクを試したりすると思います。なので、自分の興味がある事に熱中して取り組む事が大切だと思います。