取材日: 03-18-2025
取材者: 蓑田 道
今回は、学生団体「 KNOW NUKES TOKYO ノーニュークストーキョー」(※1)の活動に関わってきた、21ksの本間のどかさんにお話を伺いました。本間さんは、国際学部で平和学や社会課題について学びながら、様々な活動に取り組んできました。将来は、民間企業での経験を通して、より多様な人々と関わりながら、社会貢献につながるアクションを起こしていきたいと語ります。国際学部での学びや、活動を通して見えてきた「平和」との関わり方や核兵器廃絶への思いについて、インタビューしました。
(※1)ノーニュークストーキョー KNOW NUKES TOKYO について
2021年に設立された学生団体。若い世代の視点から核廃絶の問題にアプローチし、議員との対話やフォーラムの開催などを通じて、核兵器のない世界を目指す活動を行っています。
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▽明治学院大学国際学部国際学科に入学した経緯を教えてください。
高校時代から平和学や核兵器の問題に関心があり、実際に活動もしていました。そんな中、明治学院大学の国際学部のパンフレットで「平和学」という言葉を目にしたことがきっかけで、「ここで学びたい」と思うようになりました。
▽平和活動に関心を持つようになったきっかけを教えてください
高校1年生のときに、学校に貼られていた「高校生平和大使」(※2)の募集ポスターを見たのが最初のきっかけです。正直なところ、最初は「海外に行けるかも」と思って軽い気持ちで応募しました。結果的に平和大使には選ばれなかったのですが、関連団体である「高校生1万人署名活動」(※3)に参加するようになり、高1の3月から高3まで、毎月1回、御茶ノ水駅で署名活動を行いました。
この活動を通じて、当初自分が抱いていた「日本は核廃絶の最前線にいる国」というイメージが、現実とは異なることに気づかされました。
そして、高校生の時に参加したピースボートの「大使館応援ツアー」が大きな転機となりました。アルジェリア大使館を訪問し、初めて被爆者の方の証言を直接聞く経験をしました。また、アルジェリアにも被爆者がいることを知り、「えっ、日本以外にも被爆者がいるの?」と衝撃を受けたのを覚えています。そこから「グローバルヒバクシャ」という視点でこの問題に向き合うようになりました。
(※2)高校生平和大使
「高校生平和大使」は、1998年に長崎で始まった日本の高校生による平和運動。核兵器廃絶と平和な世界の実現を目指し、署名活動や国連への訪問などを行っています。
(※3)高校生1万人署名活動
2001年に長崎で開始された高校生による平和活動。当初、長崎には約1万人の高校生がいると考えられたことから、この名称が付けられました。核兵器廃絶を求める署名を集め、それを「高校生平和大使」に託し、国連欧州本部に届けることを目的に活動を行っています。
▽大学ではどのようなことを学びましたか?
高原先生、阿部先生、榎本先生のゼミに所属して、さまざまな学びを得ました。特に「平和学」「現代平和研究」などの授業が印象に残っています。なかでも、高原先生のゼミで参加した沖縄での校外実習はとても貴重な体験でした!
▽高原先生との出会いのエピソードを教えてください
高原先生との出会いは、今思えば「運命的」でした(笑)。
平和学に関する授業「広島・長崎講座」を受講したいと思っていたのですが、定員オーバーで履修が難しい状況でした。そんな時、まだ面識のなかった高原先生を偶然遠望橋で見かけて、思い切って声をかけたんです。「オンラインなら受けられますよね?」とお願いして、無事に授業を受けることができました。
先生からは「人と会うことを大事にしましょう」「外国に友達をつくりましょう」といった、シンプルだけれど深い言葉をたくさんいただきました。そういったアドバイスを頂いたことで、自分のコミュニティも広がり、ノーニュークスでの活動にもつながっていったと思います。
▽ノーニュークストーキョーでの活動について教えてください
ノーニュークストーキョーが設立されたのは2021年5月ごろで、設立と同時に声をかけてもらいました。最初に取り組んだのが、衆議院選挙に向けた「議員面会プロジェクト」(※4)でした。右も左もわからないまま、先輩たちに教えてもらいながら議員会館へ行ったことを今でも覚えています。
ちなみに、その頃はコロナ禍で授業もオンラインだったため、議員会館のタリーズでフランス語の授業を受けていたこともありました(笑)。
(※4)議員面会プロジェクト
「議員面会プロジェクト」は、学生たちが議員会館を訪れ、議員やその秘書と面会し、核兵器禁止条約への賛同や核政策に関する意見を尋ねるプロジェクトです。

▽核の問題に関心を持つようになったきっかけについて教えてください
学問的にとても興味深いテーマだと感じたからです。核の問題は、ジェンダーや環境、そして現在進行中の戦争など、さまざまな社会課題とも深く結びついている問題だと思います。
被爆者の方々と実際にお会いする機会にも恵まれました。中でも、サーロー節子さん(※5)とお会いしたとき、「若い人、頑張ってね」ではなく、「一緒に頑張りましょうね」と言っていただけたことがとても嬉しかったです。同じ目線で、世代を超えて共に取り組む仲間として迎えてくださった気がして、強く心に残っています。
(※5)サーロー節子さん
カナダ在住の被爆者、平和活動家。13歳の時に広島で被爆、その後アメリカに留学。以降は海外を拠点に、被爆者としての経験をもとに核兵器廃絶を訴える活動を続けてきました。2017年、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した際には、被爆者として初めて授賞式でスピーチを行い、世界に強いメッセージを届けました。
▽ノーニュークストーキョーでの発信において工夫していた点は?
私は、一方的に自分の考えを押し付けるような発信には違和感を感じてしまいます。デモでプラカードを掲げたり、SNSで強い感情を出すことは、時には必要かもしれませんが、そうした行動がかえって、他の人との距離を広げてしまうこともあると感じています。
だからこそノーニュークスでは、「ノーニュークス・フォーラム」というイベントを開催し、飲み物を片手にリラックスした雰囲気で核の問題について語り合える場をつくりました。デザインにもこだわり、参加のハードルを下げる工夫をしました。
また、「かわいさ」や「日常の中の大切なもの」をテーマに、「それを奪ったのが原爆だった」というように、身近な視点から伝えるよう意識してきました。
こうした活動をしているとどうしても「意識高い系」に見られることもあるけれど、「なんか面白そう」「かわいい」というような、身近なところから入り口を広げていくことが大切だと思っています。
▽国際学部に対する思いを教えてください。
国際学部で私は本当にたくさんの人たちに助けてもらいました。活動を進めていく中で、必要な知識や、講演依頼などに対応するスキルを学べたのは国際学部での学びのおかげです。基礎演習の授業の最後にみんなで舞岡公園へピクニックに行ったのも、今でも楽しい思い出として残っています。
▽将来どのような活動をしていきたいですか?
「平和を大切にしたい」という思いは、これからも自分の軸として持ち続けていきたいと思っています。ただ、あえて少し違うアプローチから関わっていきたいと思っています。一度民間企業で働き、そこで得た経験や活動を社会貢献につなげていきたいと思っています。まずは、自分の身近な人たちとの関係の中から、平和につながるアクションを始めたいです!
「平和学」は、どんな分野や立場にも関わってくるものだと思うんですよね。だからこそ、自分なりの形で取り組んでいくことができるはずです。
社会運動や平和活動には、「やれる人がやれる時に関わる」という関わり方があってもいいと考えています。そうした柔軟さがなければ、活動自体が持続しづらくなってしまう。もちろん、同じ志を持った人たちと活動することは心地よいのですが、その中だけにいると、外からの意見が「とんでもない発言」に聞こえてしまうこともあります。だからこそ、さまざまな立場の人と関わりながら、アプローチしていくことが大切だと思っています。
▽国際学部を目指す学生へのメッセージをお願いします。
国際学部は、ふらっと行けば誰かしらがいて、「え、何してるの?一緒に下山する〜?」(※6) なんて声をかけられるような、あたたかい場所でした。例えるなら、Wiiの“みんなで集まる広場”のような感じ(笑)。一人一人が強い個性を持っていて、その場にいるだけで、面白いことが自然と起きる。そんな、安心できる「居場所」のような空間です。
そして、自分が「もっと知りたい」「深く学びたい」と思ったテーマに、全力で応えてくれる場所でもあります。単に情報を教えてくれるだけでなく、親身になって一緒に考えてくれる先生がいる。そうした環境は、どこにでもあるものではない。国際学部ならではのものであると感じています。
(※6)明治学院大学横浜キャンパスでは、キャンパスが小高い丘の上に位置していることから、学生同士の間で親しみを込めた表現として、戸塚駅まで歩くことを「下山する」と表現することがあります。
