取材日:2024年05月21日
▽明治学院大学 国際学部 国際学科に入学した理由はなんですか?
明治学院大学国際学部国際学科というこの学科が、自分に合うと考えたからです。実は、高校3年生の時にこの学科ともう一つ他大学で迷っていました。どちらもオープンキャンパスではなく、個人で予約して大学見学にいきました。その時に、この学部の雰囲気が好きだなと感じ、「どうしてもこれがやりたい!」など目的をもってではなく、雰囲気で入学を決めました。
▽明治学院大学国際学部国際学科に入学してからどんな活動をしていますか?
大学1年生の頃、ボランティアセンターと連携しているあるサークルに入っていました。しかし、1年生だったこともあり、1つのフィールドに縛られずいろんなことをしてみたいと思い、辞めてしまいました。サークルを辞めてからは休学してオーストラリアに留学し、今はこの学部に在学しながら、オーストラリアで日本語教育のティーチングアシスタントをしています。
▽休学したきっかけはなんですか?
新型コロナウィルスの影響がすごく大きいです。私が入学した2019年当初は、まだ新型コロナウィルスが蔓延していませんでした。しかし、大学2年生になって、新型コロナウィルスのパンデミックが起こり、描いていた学校生活がうまくいかず、やるせない気持ちを抱えることになりました。特に、3年生になる前に留学に行きたいと思っていて、2年生次に海外留学を計画していました。しかし、新型コロナウィルスの影響で、海外留学がキャンセルになってしまい、夢を実現できない苦しい気持ちを味わいました。その時に、このまま授業を受け続けるのではなく、海外留学に行けるようになった時のために、費用を貯めようと思い、休学を決意しました。
▽海外留学は行けましたか?
はい。オーストラリアに海外留学に行きました。私は、10ヶ月まるまる語学学校に通いました。自分はそれほど英語に自信がなかったこともあり、オーストラリアでは学生ビザで働くことができるため、渡航先をオーストラリアに決めました。振り返ると、語学の伸びが早かったので、語学学校に10ヶ月もいる必要は無かったのではないかと考えています。しかし、働きながら学べたため、語学学校は、自分にとってとても良い経験だったなと思っています。
▽どんな1週間を過ごしていましたか?
週に5日通っていました。授業は半日で、基本的に午前か午後のどちらかにありました。クラスと曜日によって授業の時間が違うのですが、私は主に水曜日と木曜日が午前授業だったので、その後はアルバイトをしたり、友達と遊びに行ったりなどしていました。
▽どんなアルバイトをしていましたか?
レストランのウェイトレスをしていました。
土日だと給料がかなり良いので、土日に働くことが多かったです。
▽現地でできたご友人とは、どんな遊びをしていましたか?
ご飯を食べに行ったり、お酒を飲みに行ったりしていました。あとは、ちょっとビーチに行ったりすることもありました。
▽留学に行って、苦しかったことはありますか?
ホームシックを経験したことです。最初の2〜3週間は「9ヶ月も日本に帰れないの?!」と思い、絶望していました。友達も日本から出国する時に手紙書いてくれたり、「行ってらっしゃい」と暖かく、見送ってくれたりしたこともあいまって、日本の友達と会えないことに対する寂しい気持ちが大きかったです。しかし、そのうち「まぁ、こんなもんか」と受け入れたことで、私のオーストラリアライフが楽しくなりました。
▽留学に行って、楽しかったことはありますか?
楽しかったことは、本当に数多くありますが、オーストラリアの文化が、自分に合っていたので、そもそもの生活が楽しかったです。例えば、知らない人が「Hi!」と話しかけてきてくれたり、目が合えば笑顔になってくれたりするオーストラリア人の交流文化が好きで、こうしたことが留学中に多くあったのが楽しかったです。 また、私の場合ホストファミリーに恵まれていたこともあり、ホストマザーと話すのも楽しかったです。ホストマザーは、イギリス人の学校の先生で、私とルームメイトの女の子と3人で小さなアパートに住んでいました。ホストマザーは少し耳が悪かったので、時々手話を教えてもらうこともありました。ホストマザーが学校の先生だったこともあって、夜ご飯を食べている時に「今日あったこと、1から全部英語で話して」と言って、私の英語力を向上させてくれました。ネイティブが使う言い回しは英語の授業で習うものではないので、「そういう言い回しするんだ」という学びをホストマザーの相槌などから得ることができました。
▽現在、日本語教育のティーチングアシスタントとして、再度オーストラリアにいらっしゃいますが、日本に帰ってきて、もう一度オーストラリアに行きたいと思った要因はなんですか?
一番最初にオーストラリアに行った時は、ホームシックになって「帰れないの?」という気持ちでしたが、時間が経つにつれて「私ここ好きだな」と思うようになったからです。自分の今後の人生を考えた時に、可能性としてこの先、旅行以外にオーストラリアに行くことはないかもしれないと考えていたので、短期でも良いので何か海外に行けるプログラムを探していました。オーストラリアでは、周りの目を気にせずに生きることができるのですごく自分にあっているなと思っていました。その時に、明治学院大学の日本語教育のティーチングアシスタントプログラムを見つけて応募して、面接を経て今は、日本語教育のティーチングアシスタントとしてオーストラリアで働いています。
▽日本語教育のティーチングアシスタントは、どうですか?
毎日がチャレンジです。生徒一人一人のレベルを分析し、そのレベルに合わせた会話の練習計画を英語を使って立てています。ただ日本語を勉強してもらうだけではなく、生徒が勉強を続けられるようにする必要があります。それが、自分にとってのチャレンジです。
嬉しいことももちろんあります。私は、今オーストラリアの男子校で日本語教育のティーチングアシスタントをしています。その学校で働き始めた時は、生徒との交流が少なかったのですが、廊下ですれ違った時にだんだんと挨拶してくれるようになったりとか、生徒自ら話しかけてくれたりすることが増えました。チャレンジがありながらも、嬉しい出来事が多く、楽しく働いています。
▽卒業後の進路はありますか?
日本で働こうと思っています。オーストラリアでは、日本での仕事を辞職したのちにオーストラリアに来た人々と多く出会いました。彼らから「日本で働くのは…」という話も聞いたことがありました。しかし、実際に自分が経験していないことをはじめから否定したくないので、まずは、日本で働きたいと考えています。そこから、またタイミングやチャンスがあれば、やりたいことを実現したいと考えています。
▽あなたにとって国際学部とはなんですか?
正直最初はなんとなく入ったこともあって明確にはわからなかったのですが、今の自分にとっての国際学部は、[人との出会いをくれた場所]です。私が、国際学部出会った人々は、皆大切な存在です。ある人は韓国の大学に入学し、今はアルバイトで通訳の仕事をしています。また、別の人はアメリカ留学中にインターンシップを経験し、その枠でそのまま就職しました。志が高く、尊敬できる人たちがいたからこそ、私も留学しようという思いが生まれました。もともと今の性格のようにポジティブではなかったのですが、国際学部での人との出会いによって、自分自身が変化しました。
▽読者へのメッセージはありますか?
私は、休学したので、周りから「まだ、大学生なの?」と言われたことがあります。しかし、皆さんに伝えたいのは、20代だからこそ時間がかかってもやりたいと思った事があるなら、やった方が良いということです。興味があって、やりたいと思ったのなら、それが答えだと思います。やりたいことができる可能性があるなら、チャレンジしないともったいないと思います。やって後悔するより、やらなくて後悔する方が悔しいという言葉もあります。後悔や不安もあると思いますが、タイミングがあるなら、自分のやりたいことを実現してください。そうすることで、自分に自信や経験からの学びを得ることができます。
〇井上幸乃さん
2019年 明治学院大学国際学部国際学科入学