▽学生時代はどのような学生でしたか?

 私は、全く自慢できるような学部生ではありませんでした。私は、東京外国語大学の中国語学科に入学しましたが、その学科を選んだ理由は、中国語がどのような言語か理解し、勉強したいと思ったからではありませんでした。私が入学した1980年は、ちょうど日中国交正常化(1972)の数年後で、鄧小平(1997~1997)が改革開放(1978)を行い、自由経済を取り入れ、欧米や日本に門戸を開いた時代でした。そのため、「このような時代だから、中国語をやっておけば、役に立つかな。」という単純な考えにより、中国語学科に入りました。

 しかし、私には、中国語が全く合いませんでした。まず、中国語(北京語)には、四声という発音があります。私は、二声と三声が聴き分けられないなど、苦戦しました。また、改革開放直後で、まだ西洋などの情報があまり入ってきていなかったので、当時の教科書は、毛沢東主義一辺倒で、まるで共産主義のプロパガンダを読まされているようでした。また、当たり前ではありますが、教科書は全て漢字でした。私は、日本語でも漢字は使うので、アドバンテージがあると思っていたのですが、勉強する中で、全てが漢字で書かれている事をとても苦痛に感じるようになりました。このように、音が聞き取れない、内容がつまらない、漢字を覚えたくないなど、私は「中国語を学ぶ事が、嫌だな。」と思ってしまいました。そして、私の大学は明治学院大学とは異なり、成績が悪いと進級できず留年することがあったため、嫌だけど最低限勉強して、進級していました。

 このように大学が面白くなかったので、「いつ辞めようか。」とか「辞めても他に自分が勉強したい事が見つかっていないので、辞めてもどうしようか。」と考えるようになりました。また入学した直後、父が失業をしたので、「辞めても経済的にも大変だから、私立大学には編入できないしな。」など悩んでいました。このように、2年生まで、勉強したいことが見つからない学生生活で、ずっと大学を辞めたいと思っていました。

 その後、3年生になると、学生は語学文学と国際関係のどちらかのコースを選択することになりました。私は、中国語をやりたくなかったので、必ず国際関係の方に行こうと思っていましたが、だからと言って、国際関係で特別勉強したい事はありませんでした。そのような中で私は、山之内靖(1933~2014)という、初めの頃は、イギリス経済史の研究、後にマックス・ヴェーバー(1864~1920)の研究をした先生のゼミに入りました。彼は、ウェーバー研究が専門でしたが、研究したいテーマが社会科学だったら、どんな学生でも受け入れますという、非常に度量や包容力のある先生でした。

 3年生の初めの頃に私は、山之内先生のおすすめで、ウェーバーの官僚制について勉強しました。ウェーバーには様々な著作がありますが、その中でも官僚制に対する批判的研究が知られています。しかし、私はこの内容には、あまり魅かれませんでした。

 このように、国際関係の研究でも、研究テーマがあまり見つからなかったので、改めて、自分が勉強をしたい興味関心を考えました。考えた中で私は、幼少期から疑問に思っていた事を幾つか見つけました。まず思いだしたのは、私の親が、私と弟を性別が違うことを理由に、異なった扱いをしたことでした。また、私は中学生時代、数学が不得意でしたので、自分なりに頑張って勉強をしていると、数学の先生に「女の子はそんなに数学を勉強しなくていい。子供に数学の楽しさを教えて上げられる程度で良い。」と言われて、衝撃を受けた事がありました。

 さらに、高校の頃、多くの生徒はそれなりに頭が良く、有名大学に進学していましたが、同級生の女子生徒が、「女の子の幸せは(有名大学に行くことではなく)結婚して子供を産むことだから。」と言っていた事がありました。これに対し私は、「(自分は女だけど)まだ好きな人もいないし、結婚するかもわからないのに、なんで自分の幸せを人に決められるのかな。」と疑問に思いました。このような小さい出来事が積み重なり、大きな疑問になっていました。

 そのため、山之内先生に官僚制ではなく、女性が直面しているいろんな問題について考えたいですと4年生の時に伝えました。(1980年代当時は、学問分野において「ジェンダー」という言葉はなく、「女性問題」という、あたかも女性自体に問題があるかのような言い方がされていました。)すると、山之内先生が、「政治学の本『Marxism and domination』(バルブス・アイザック、Princeton, N.J. : Princeton University Press、1982)の中にフェミニズムについて言及している部分があるから読んでみたら。」と紹介をしてくださいました。今から考えると、山之内先生としては、自分が読みたいけど時間が無いので、興味がありそうな学生にいろんな本を振って、どんなことが書いてあったのか、学生から聞くという事をやっていたと思います。つまり、先生の仕事の下請け作業をしているようなものでした。しかし、私にとっては、興味のある分野だったので、感謝をしてホイホイ読みました。

 その本の中でバルブスは、「これからの社会は、フェミニズム、参加型民主主義、環境運動によって社会が変わっていく。この3つは、共通の価値を有している。」と書いていました。私は、環境問題にも興味があったので、面白かったのですが、それよりも、彼が引用していた、ナンシー・チョドロウ(1944~)という、UCバークレーで教えていた社会学者に、強く興味を惹かれました。それがきっかけで、チョドロウという研究者を知り、図書館で彼女の本の和訳を読みました。自分自身も社会学者になった今考えると、チョドロウは、かなり異色な考えを持っていると言えます。具体的には、彼女は、精神分析を使って、男女のパーソナリティが異なる理由を説明するという、独自の理論を展開していました。このように、彼女がUCバークレーの社会学部にいる事から、「私が勉強したい事は、社会学という領域なんだ。」と初めて分かりました。

 この出来事をきっかけに、私は社会学について勉強したくなり、大学院に行きたいと思ったので、まず、日本の大学院への進学を考えました。しかし、(今は違うかもしれませんが、)当時の大学院生は非常に生活が大変で、こんな貧しい生活で自分がやっていけるか不安に思いました。その上、当時の日本の大学院では、ジェンダーについて研究している人が、ほとんどいませんでした。そのため、日本の大学院も諦めました。次に、アメリカでは、ジェンダーの研究が進んでいて、私自身アメリカに留学したい気持ちも昔からあったので、アメリカに留学して、社会学を勉強しようかなと考えました。しかし、当時の私は、まだ自分が大学院で生き残れる自信がなく、社会学を基礎から勉強していなかったため、アメリカの大学院への進学も諦めました。