取材日:2020/10/22

 

▽なぜ国際学部に入ったのですか?

 大学生になったら留学をしたいと思い、様々な大学を見る中で明治学院大学の国際学部に興味を持ちました。高校生の時は獣医になりたいと思って勉強していましたが、狭い分野を勉強し続けるが自分に合わず、もっと広く様々を知りたい。」「英語を使って外国の人ともコミュニケーションをとりたい。」と思うようになり、国際系を目指すようになりました。

 英語に関しては、ドイツで生まれた事もあり幼い頃はドイツ語を喋っていましたが、あまり馴染みはなかったです。ただ小学生くらいから英会話教室に通わされ、高校生の時に帰国子女の友達が当時流行っていたハリーポッターを洋書で読んでい姿を見て、純粋に「カッコいい」そして「羨ましい」と思い、励むようになりました。

 

 

▽学部生時代はどのような活動をしていましたか?

 1年生の初めは、ダンスとサーフィンのサークルに入っていました。ただ英語に力を入れた学生生活にしたいと考えていたため、徐々に部活中心学生生活に違和感を持ち始めました。「もっと様々な場所に行ってみたいと言う気持ちが強くなり、後半にはサークル辞めバイトと旅中心の生活に移っていきました。

 1の後半からは一人旅を始めました。きっかけは2011年の春休み、友達と2人でヨーロッパに行ったことです。ちょうどその時、日本では東日本大震災が発生しました。スペイン現地人から日本の状況を聞き、テレビで日本の状況を目の当たりにしたときの衝撃は今でも記憶に残っています。その友達とは3週間ほど一緒に旅をしたのですが、現地で出会った一人旅をする日本人からその良さを伝えられ、その後はお互い旅をするようになりました。大学生の間に東南アジアや南アジア、南米など色々と旅をしましたね。

インド ガンジス河

 アルバイト代はほぼ全て海外旅行に費やしていましたが、国内も見て回りたいと考え、お金が無いのでヒッチハイクをする事にしました。ヒッチハイクはやってみたいなと漠然と思っていたのですが、ちょうど中学校の同級生がやったと聞き、「うん、彼が出来るなら俺にもできるな。」と思い親指を掲げ始めました。上は青森、下は広島まで行きました。道中で乗せてくれる方々から様々な人生を聞けたは人生のネタと糧になり、とてもエクサイティングだったと思います。

 3年生の頃は国際学部に入るきっかけとなった留学のために英語の勉強や準備をし、年生からアメリカ、カルフォルニアへ留学しました。留学先でも様々な場所に旅行し、明学で出会ったアメリカ人の友達にはロサンゼルスやリバーサイドなどを、また授業で知り合った他学部の友達とは南部のニューメキシコなどを旅しました。様々な人に出会い、アメリカの社会や文化、生活を体験した事はその後の自分の基礎になっていると思います。

 

 

▽卒業してからどのように現在のキャリアに至りましたか?

 アメリカでの留学生は、海外の就活フォーラムなどに参加し就活を進めるのが通常なのですが、私はアメリカを存分に楽しみたいと思い、現地では就活をしませんでした。帰国後、留学生用の就活フォーラムに参加すると迎え入れてくれる企業が多くあり、あまり苦労せずに就活が終わったので、自分の決断はまあ正しかったのかなと今でも思っています。

 

 国際学部に入学した当初は知らない多かった上にボランティアをやりたくて入学しました。」という人など、意識の高い他の学生に圧倒されていました。しかし大学で人権問題、貧困問題、環境問題などを学んでいくに、自分もしっかり国際学部に染められていき、就活時にはちょっと意識高い系となっていました(笑)

 就活先の業界としては、私は自然が好きなので再生可能エネルギーなどの環境問題にポジティブな仕事をしたいと思っていました。また業種としては、好奇心が強く人と合ったり話したりする事が好きな性格から営業を志しました。

 「英語を使う海外営業の仕事、かつ環境に優しい会社」と言う視点で企業を探し、富士電機という重電メーカーに入社、地熱発電事業部に配属になりました。

 学生の頃は大企業に行くか、ベンチャー企業に行くか迷いましたが、ベンチャー企業で働いていた先輩から新卒カードは回しか使えないら、まずは大企業に行ったら?と言われました。大企業は堅苦しいイメージがあり、あまり気が進まなかったのですが、「まあ合わなければ転職しよう」と軽く考え、そのアドバイス通りまずは大企業を多く受けました。環境系の仕事たい。」という目標が明確に決まっていたので、それを正直に伝えていると、富士電機は私の勢いの良さを評価してくれたのか、採用してくれました。

 

 例え大企業にいたとしても、イエスマンにならずドンドン素直に自分を出していく事が大切だなと思った体験がありました。

 大体の会社では新入社員は、歓迎会で役員の方と話す機会というのがあります父親に個性を出していかないと、会社で埋もれてしまう。」と言われていた事とお酒の勢いもあり、その会食の場で副社長を見つけ単刀直入に「私は海外営業に興味があり入社しました、海外営業の部署に入らないと役に立ちません。」と直談判しましたすると副社長はしつこさに負けたのか、新入社員リスト私の名前に赤線を引いて、人事に相談しておくと言ったのです。その結果、望み通り海外営業部に配属になりました。古い大企業は意見が通らないと思っていましたが、言葉にすると変わるもあると知り、良い会社だな思いました。ただ人事部からは後でチクチク言われましたね。ある飲み会の席で人事部長から「本当は君は石川県に行かせる予定だったんだ。しかし副社長に新入社員の配属を見せたら、なぜ藤田の名前が海外営業に無いんだと怒られたんだぞ」と聞かされました(笑)

プラント営業時代

 富士電機のプラント営業時代はアイスランドやニュージーランド、アメリカなどの発電設備に出張し、忙しい日々を過ごしました。世界中のお客様と仕事が出来るのはとても楽しかったですね。ただ年ほど経ってくると、もっと自分のアイデアやバリューを出し営業活動がしたいと感じるようになってきました。

 「社会は会社の集まりで、会社は役割の集まりだろう。まあじゃあ今私がやっている役割は、自分がやらなくても違う人がやってくれれば良い」考えるようになり折角頂いてたチャンスでしたが、今までに感謝し、辞める決意をしました。

 よく石の上にもと言いますよね、今の自分なら、3続けると仕事が良く分かってくるので、同じ事を言うと思いますが、当時は、自分に素直で頑固だったため勤め続ける選択はできませんでした

 

 結局転職し、電子部品、温度センサーを製造する企業で、現在はヨーロッパイスラエル向けの海外営業リーダーをしています。前の会社に比べると規模は小さいですが、自分のアイデアが数字に直結する今の環境は大変面白いです。良く外資系企業に行ってみたら?と言われますが、外資は日本のマーケットがメインです。「できれば海外赴任したい。」「外国で物を売りたい。」と思っていた私としては転職先も日系企業の海外営業に拘りました。今の会社に入った一番のきっかけは、面接官だった現在の上司、本質を突き、素直にはっきりと物事を言うとても気持ちの良い人だった事が大きいです。後から知りますが、彼は自分で起業をした経験があり、とても厳しいですが、大変学びの機会を与えてくれる人です。

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