取材日: 2-01-2024
取材者: 伊藤 朱夏
▽国際学部に入学した理由はなんですか?
まず、明治学院大学を選んだ理由は、高校の指定校推薦で進学できる大学の中に明治学院大学が含まれていたからです。また、国際学部を選んだ理由は、入学前に詳しく調べたわけではありませんでしたが、「国際的なことを学べる」という点が自分にとって魅力的だったからです。他の分野を学ぶよりも国際的なことに興味があったため、国際学部を選びました。ただ、入学前に「絶対に国際学部が良い」というような強い思いがあったわけではありませんでした。
▽出身高校はどこですか?
高校は、愛知県の名古屋高校というところでした。
▽国際的なことに少し興味を持っていたきっかけは何かありますか?
国際的なことに興味を持つようになったきっかけは、小学校5年生のときに親の仕事の関係で1年間アメリカに滞在した経験です。その際、自然と世界に対する関心が芽生えました。また、趣味として海外のサッカー観戦を楽しんでいたこともあり、他の国々に興味を持つようになりました。
▽小学校5年生の時にアメリカに入った際に、印象に残っていることはありますか?
小学校5年生のときにアメリカに滞在した際、全てがカルチャーショックの連続でしたが、特に印象に残っているのは「食べ物を捨てること」に対する価値観の違いです。日本では、食べ物を残さずに食べることが美徳とされる環境で育ったため、アメリカで「お腹がいっぱいでもう食べられない」や「これ美味しくない」と感じたときに、食べ物をそのままゴミ箱に捨ててしまう光景を目の当たりにし、とても悲しい気持ちになったのを覚えています。振り返ってみると、こうした自分の知らない世界を、良い面も悪い面も含めて幅広く学びたいと思ったことが、国際学部を選んだ理由の一つだったのだと感じます。
▽国際学部に入学し、1年生の頃は何をしていましたか?
大学一年生の頃は、ほとんどの授業がオンラインでした。秋学期から対面授業が少し始まりました。私は、体育会の部活に入っていたので、練習前や練習後にパソコンから授業に出席する日々でした。
▽体育会の何部に入ってましたか?
体育会のサッカー部に所属していました。小学校2年生からサッカーを続けており、大学でもサッカーを続けられることは大学選びの重要なポイントでした。その点も、明治学院大学を選んだ理由の一つとなりました。
▽国際学部の勉強とサッカー、大学生活の両立は、うまくいきましたか?
国際学部の勉強とサッカー、そして大学生活の両立についてですが、1年生の頃は、まずサッカーと勉強の両立ができると確信するまではアルバイトをしていませんでした。2年生になると対面授業が増えましたが、サッカー部の練習場所が横浜キャンパスであり、国際学部の授業も同じ横浜キャンパスで行われていたため、通学に特別な不便さを感じることはありませんでした。朝練習をした後、そのまま図書館で課題をしたり、授業に出たりすることができ、非常に効率的に過ごせたので、勉強とサッカーをうまく両立できたと思います。また、アルバイトを始めた後も、国際学部の友人やサッカー部に所属する国際学部の友人たちのサポートのおかげで授業についていくことができました。3年生になると授業のコマ数が減ってきたため、アルバイトのシフトを増やしながら時間を有効に使うようにしていました。
▽国際学部の授業で好きな授業はありますか?
森本泉先生の地誌概説という授業が面白かったです。発展途上国に関する内容で、簡単に言うと、単に先進国が資金援助をするだけではなく、途上国に「どう発展していくか」を教えていくことの重要性について語られた講義でした。「確かにその通りだな」と納得させられる内容が多く、国際学部らしいテーマで非常に興味深かったです。
▽現在、イギリスのオックスフォードで語学留学をしているようですがいつから留学したいと思い始めましたか?
大学に入学した頃から、留学したいという思いがありました。両親も留学について前向きな気持ちでいてくれましたが、私はサッカー部に所属していたため、簡単には留学に行くことができませんでした。サッカー部に入っていると、グローバル法律学科や国際経営学科など、留学が卒業に必須でない限り、留学が禁止されています。留学するには、サッカー部を辞めなければならなかったのですが、私の場合、両親とサッカーを4年間続けることを約束していたため、サッカーは4年生の途中までしっかりやり遂げ、その後休学してイギリスに語学留学することに決めました。もしサッカー部に入っていなければ、もっと早く留学していたかもしれません。
▽留学先をイギリスに決めた理由などありますか?
まず、留学先を選ぶ時に英語を学びたかったので、カナダ、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドが選択肢として上がりました。アメリカは、行ったことがあったので選択肢から外れました。残ったのが、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスですが、サッカーが好きでイギリスのプレミアリーグに興味があったのでイギリスにしました。
▽留学に行こうと思ってから、実際に留学に行くまでの期間は、どのくらいでしたか?
本気で行こうと思ってから、実際に留学に行くまでの期間は短かったです。3年生の後半から、留学に行こうと思い始めました。ずっと「サッカー部だから行かなくていいかな」、「このまま就活をはじめて卒業しようかな」と思っていましたが、両親と相談し、自分で考え、休学して留学に行くことに決めました。4年生の夏前にイギリスにきて、今はオックスフォードにいます。8ヶ月間滞在する予定です。
▽留学してから語学学校以外にどんな生活を送っていますか。
ちょうど、イギリスにきた時にフランスでオリンピックが開催されていたので、フランスに最初に渡航しました。その次にトルコ、ポーランド、ノルウェー、イタリア、スイス、フィンランドにいきました。
フランスにはパリしか行っていないのですが、日本のバレーボールを見るために1泊で一人で行きました。バレーボールのオリンピックチケットを手に入れることは本当に難しかったのですが、リセールという、用事ができて行けなくなった人たちが出すチケットを前日にチェックしていたところ、運良くチケットを見つけて購入できたので、ラッキーでした。フランス人の印象としては、レストランに入って英語で注文してもフランス語で返答されることが多かったので、愛国心や言語に対する誇りを強く感じました。
2番目の旅行先としてトルコに行きました。空港泊も含めて3泊しました。カッパドキアの気球を見たくてトルコに行きましたが、イスタンブールからカッパドキアへの飛行機が朝の便であったにも関わらず、夕方まで大幅に遅延してしまったため、当初予定していなかったイスタンブールを少し観光してからカッパドキアに向かいました。トルコは、行く前から親日だと聞いていましたが、実際にトルコ人は日本語が流暢な人が多く、親しみやすい雰囲気に本当に驚きました。お土産屋さんでは、非常にきれいな日本語で「学生さん、お金がないのはわかっているから、安くしてあげる」と言われ、結局断れずにトルコ絨毯を買ってしまいました。
3番目にポーランドに渡航しました。アウシュビッツ強制収容所に行くことが目的でポーランド行きを決めました。アウシュビッツを回る際には、ガイドさんに依頼
して一緒に回ってもらいました。日本人のガイドさんが非公式でいることをウェブサイトで調べていた時に知り、予約した方が良いとのことでした。しかし、少し料金が高かったことや都合が合わなかったため、日本人のガイドさんではなく、英語の練習も兼ねて英語のガイドさんを選びました。
アウシュビッツ強制収容所の感想ですが、鮮烈でした。寝室やトイレなど、人が生活できるような環境ではない場所の光景も衝撃的でしたが、特に印象に残ったのは、建物の中に収容者のリストが情報と写真付きで壁一面に貼られていたことです。いつ収容され、いつ亡くなったのかが記載されていました。ほとんどの人が、1ヶ月も経たないうちに命を奪われてしまっており、その壁を見たときの気持ちと情景は今でも鮮明に覚えています。
4番目にノルウェーに行きました。ポーランドからロンドンに帰る飛行機を探した際、ノルウェー経由が一番安かったので、ノルウェーに立ち寄ることにしました。乗り換えのためにほぼ1日時間があったため、ノルウェーの第3の都市であるトロンヘイムに行ってきました。ノルウェーではノルウェーサーモンを食べましたが、本当に美味しかったです。新鮮さが感じられ、スーパーで売っている簡単なお寿司でもその味が大きく異なります。夏のノルウェーでしたが、少し寒く感じました。また、トルコと比べて、街の静けさや整備された感じがとてもきれいで素敵でした。ノルウェーの人々については、英語が流暢に話せる人が多いという印象を受け、ヨーロッパの国々でも英語力に差があることが面白い発見でした。
5番目にイタリアに行きました。イタリアでは3泊して、ローマ、ナポリ、そしてヴェネツィアに行きました。ローマでは、運が悪かったこともあり、正直言うと最悪な体験でした。私が行った日にローマでストライキがありました。少しローマ市街地から離れた場所にホテルを取っていたため、荷物を置いて観光に出かけようとしたときに、ストライキが始まり、地下鉄のゲートが閉まっていました。市内まで歩こうとしたのですが、歩ける距離ではなく、絶望的な気分になりました。しかし、奇跡的に目の前に「LOOP」があり、40分ほどかけて市内まで行くことができました。ローマでは、トレビの泉、スペイン広場、真実の口を見に行きました。また、ローマには元有名サッカー選手の壁画があるので、その壁画も見に行きました。夜は、ローマがカルボナーラの発祥の地ということで、カルボナーラを食べました。2日目はナポリに行きました。ナポリはローマから少し離れていますが、どうしてもナポリのピザを食べたくて、2時間ほど電車で向かいました。ナポリに到着後、観光地から少し離れたローカルのピザ屋さんに行き、5ユーロほどでホールピザを食べることができました。絶品のピザで、観光客に有名なピザ屋さんは大体高くて味もそこそこなことが多かったので、ローカルなピザ屋さんを見つけられてラッキーでした。ナポリでは、歴史的な建物や古いお城、教会を見たり、ナポリで有名なサッカーチームのスタジアムを訪れたりしました。また、ナポリの夜景スポットまでケーブルカーで行きました。ナポリは治安が悪いことと、道が暗くて狭いことが印象に残りました。狭い道を歩いていると、誰かに手を引かれても誰も気づかないような感じでした。そのため、少し怖かった印象もありますが、洗濯物が建物と建物の間にかけられていたり、住民の生活感を感じることができて良かったです。その後、夜行バスでヴェネツィアに向かい、ヴェネツィアの大学に留学している友達に会い、教会に行ったりジェラートを食べたりしました。
6番目にスイスに行きました。最初にバーゼルに到着し、南の方に移動して、マッターホルンの麓にある街ツェルマットに行きました。ツェルマットでは、マッターホルンが見える展望台にケーブルカーで行きました。スイスは物価が高く、ケーブルカーのチケットも往復でかなり高かったのですが、それを超えるほど美しい景色を楽しむことができました。しかし、マッターホルンが湖に反射しているのを眺めていたとき、ケーブルカーの最終便の時間を全く把握していなかったため、携帯で最終便の時間を確認したところ、あと6分後が最終便だと知り、大焦りしました。チケットも買わずにとりあえずケーブルカーの駅まで猛ダッシュし、駅が湖から少し上ったところに位置していたので、坂を上り、駅のゲートを飛び越えて、なんとか最終便のケーブルカーに乗ることができました。麓でケーブルカーの料金を支払い、なんとか間に合わせることができました。もし、あのケーブルカーに乗れなかったら、極寒の中で死ぬか、上の高いホテルに宿泊するかの選択肢しかなかったので、本当にラッキーでした。
7番目の国としてフィンランドに行きました。フィンランドには、オーロラを見たかったことと、サンタクロース村に行きたかったことが理由で訪れました。オーロラが見られなかった場合に備えて、2日間のツアーを予約するつもりでしたが、運良く1日目にオーロラを見ることができました。雪国なので、普通の街の生活ですら大変そうだなと思いました。
▽オックスフォードの生活はどうですか?
オックスフォードは、人々が優しい街です。また、大学の街でもあります。オックスフォードには「オックスフォード大学〇〇校」のように単一の大学があるのではなく、複数の大学が存在するため、大学生が多く住んでいる印象を受けます。
▽語学留学していて、自分が成長したなと思うところはありますか?
留学して、英語は成長したと感じています。最初の2ヶ月半はホームステイをしており、その家族にはとても良くしてもらいました。退居後も鍵を渡してくれて、「いつでも来ていいよ」と言ってくれるほど、仲良くさせてもらっています。そのホストファミリーのマザーはフィリピン人で、その人のアクセントは日本人の発音と少し似ているため、英語での会話に困ることはなくなりました。しかし、ブライトンにサッカーをしに行った際、隣のおじさんが話しかけてくれたのですが、訛りが強すぎて聞き取れず、苦戦しました。「うん、うん」といった相槌しか打てず、せっかく話しかけてくれたのに悲しい気持ちになりました。また、ホストマザーのパートナーもイギリス人で、理解するのが難しいニューカッスル出身のジョルディアクセントを持っているのですが、その人の英語もアクセントが強すぎて理解するのが難しかったです。
▽あなたにとって国際学部とは何ですか?
国際学部は、単に英語を学ぶ学部ではなく、外国語を学ぶことができ、国際的な経済や様々な社会問題についても学べる場所だと感じています。幅広い分野を学ぶことで、自分の選択肢を広げることができる学部だと思います。
▽今の大学生に言いたいことはありますか?
自分がやりたいことがあれば、好きなことにチャレンジすれば良いと思います。私のように、サッカーを4年間続け、その後休学して新たな経験をするというのも一つの方法だと思います。聞いたところによれば、明学では休学費用が比較的安いらしいので、自分がやりたいことを存分に追い求め、充実した大学生活を送ってほしいと感じています。
21KS北田優乃介さん
2021年4月 明治学院大学国際学部入学
2024年9月から休学し、イギリス/オックスフォードで語学留学中