現在の研究内容は何ですか?

 日本を含めたアジア、東アジア、東南アジアにおける社会変動、とりわけ西洋をモデルにした近代化のプロセスの研究です。アジアでは19世紀以降、西洋のモデルに従って工業化・都市化しています。

 現在でも東南アジアのミャンマーやラオスといった途上国でも開発の動きが顕著ですが、人々の生活にどのような影響を与えているのか、今後どこを目指すのか、同じ様な形の社会になるのか、将又それぞれの社会の特徴を残しながらそれを融合させて行くのか、そういった社会変化の中で特に文化の変容を研究しています。今日ではグローバル化という文脈で社会が変化していることにも注目しています。

 

 

台湾原住民も研究しているのですか?

 僕が初めて台湾に行ったのは、学部生の頃にフランスに留学した後です。留学中はフランス文学を勉強し、その後日本に帰ってきて、40年前の1978年アジアの国に初めて長期で滞在しました。僕にとってアジアのゲートウェイでした。

 当時は台湾も都市開発の最中で、台北の中にもまだ田舎のような場所がありました。国民党の独裁政権の元で開発をどんどん進める中で、例えば片側2車線の道路を作ろうと計画すると、立ち退きを強制して、伝統的な市場を分断してドーンと道路を敷きました。そこを生活の場にしている人をみて「すごいことが起こりつつあるな」と感じました。

 また、東部や山地の田舎の方に肌の色も漢民族と違う人がいるなと思い、その後勉強してみると、少数民族であることがわかりました。今では人口は少し増えているのだけれど、台湾の人口の2%弱です。

 その少数民族の居住地は山中に点在していましたが、そこでは日本語を日常的に使用していました。日本が台湾を長い間植民地にしていた時にもっとも影響を受けた人々だったんですね(日清戦争後の1895年下関条約による清の割譲から1945年のポツダム宣言までの50年間日本が占領して最長期間の植民地でした)。そういう人たちの生活や文化の変化に関心を持つようになりました。それが台湾を調査するようになったきっかけです。

 

 

▽伝統的なお祭りはどのような側面から研究していますか?

 台湾には何回も行くうちに友だちも増え、少数民族の人々が伝統的な祭りをやっていると聞いて、取材を始めました。アミ族やパイワン族は屏東や台東が居住域で、東海岸の方は道路が通っていなく西部台湾に比べて開発が遅れた地域でした。

 台湾自体九州くらいの大きさなのですが、その中に非常に多様な人がいます。その文化の多様性に強く惹かれました。当時村のおばあさんは伝統衣装を着ていたり、顔面に刺青を入れている人もいました。お酒と信仰が結びついた文化も興味深いものでした。山間部では水田耕作ができないので、畑で粟を栽培しそれを蒸留してお酒(小米酒)を作って、豊年の祭りで神様に献げるのです。

 研究していたのはそういった豊年祭自体の変化です。みんなで神に感謝し、祝います。彼らの考え方だと、祖霊信仰というものがベースになって先祖を敬います。死んだ人たちが神様になって、自分たちを見守っていてくれるという考え方に基づいています。これは沖縄の収穫祭にも見られ、黒潮文化圏として共通しています。

 これらは仏教やキリスト教といった世界宗教よりも古い考え方なのです。しかし少数民族の村にもキリスト教が入って、彼らの信仰のあり方も大きく変化しました。

 

 

いつから東南アジアにも行くようになったのですか

 11年前の2007年からです。サバティカル(教員の研究休暇)の時に、ベトナムのホーチミンに3ヶ月滞在したことがあり、台湾や沖縄とは違う都市化と近代化がベトナムではみられました。

 植民地の歴史もベトナムは元々フランス領で、その後のベトナム戦争(1952~1975)があり、歴史的経過が違うので別の形で興味深かったのです。

 それ以降今年まで10年くらい校外実習を続けることになりました。いろんなところで、アジアの社会の変化を若い学生たちに見せたいと思い、ベトナムでもサパなどの少数民族の居留地にも赴きました。アジアを見せるだけでなく、日本との関係も考えてもらいたいです。

 加えて、大学同士の繋がりをアジアでも作りたいと思い、ハノイ国民経済大学と明治学院大学との留学の協定を結びました。国際経営学科と国際学部の学生が毎年1学期は留学しています。経済の発展も重要ですが、それによって社会や人々の生活、文化がどう変わるのか、そういった点に興味がありますね。

 最近面白いのは、ミャンマーのヤンゴンの技術系の大学生です。ミャンマーでは成績のいい高校生が医学や技術系の大学に進学するのですが、それに加え土木や航海技術の大学(ヤンゴン海事大学)にも優秀な子が行きます。

 しかし、土木や航海技術を習得した子たちが、需要が十分にないのでよい仕事に就けないという側面があります。中堅の技術力を使う場所がないのですね。

 また一方で、日本では地域の企業でこうした技術者が不足しています。ミャンマーの技術者を日本の人手が不足しているものづくりの場に招く仕組みが出来つつあります。日本とアジアの労働者を繋ごうという派遣企業やNGOもあり、日本語検定2級があれば優秀な学生達が正社員として採用されて来日しています。ヤンゴンには日本語を無料で教えているNPOがあります。元々優秀な子達ですから、1年以内でかなり使えるようになります。

 例えば、日本からプレキャスト工法(現場でコンクリートを流し込むのではなく、工場でコンクリート部材を生産し、現場で当てはめる方法)を設計する企業がミャンマーまで面接に行って、そういう技術者が百人規模で毎年来ます。

 日本は物価が高いのですが、親孝行するために、社宅に住んで自炊して2,3万円で暮らし、親に仕送りしています。こうしたミャンマーの若者たちのあり方は、明学の学生が接すると、ショックを受けるようです。