↑ワディラム砂漠にて

取材日:2023/11/03

 

▽なぜ明治学院大学の国際学部に入学しましたか?

 私は滑り止めの大学として明治学院大学を志望していました。私は国立大学のアフリカ専攻が第一志望でしたが、不合格でした。そんな時に親が新聞の広告で明治学院大学を見つけてくれました。私が海外に興味を持ったのは、小学生の時に初めての海外として、親戚の住むアメリカに渡航した経験からです。そして、私は国際学部に出願し、合格しました。自分にとってはこれが初めての挫折経験で、大学生活はマイナスから始まりました。

 

 

▽学生時代に頑張っていたことは何ですか?

 大きく3つあります。1つ目はJUNKO Associationでの活動です。1年生の時にJUNKO Associationに入り、広報を担当していました。JUNKO Associationはベトナムとミャンマーの教育支援をしており、学生団体ですがNPO法人という法人格も取得しています。JUNKO Associationで活動を始めたことにより、NPOやNGOなどを知りました。また、私は広報を担当していたので、広報をした先で情報を受け取った人がどのように共感して、寄付やSNSシェアなどの行動を起こしてくれるのか、広報のイロハを学ぶことができました。

 2つ目は平山ゼミでの活動です。平山ゼミでは開発学や社会調査法を学び、校外実習としてヨルダンに渡航しました。ヨルダンは歴史的に周辺国から沢山の難民を受け入れています。2011年からはシリア紛争が始まり、ヨルダンは沢山のシリア難民を受け入れています。難民の多くは難民キャンプではなく、家を借りて街中でヨルダン人と同じように家に住んでいます。平山ゼミでは、その難民たちがどのような生活をしているのか調査し、結果をUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)という国連の機関に調査結果として報告する活動をしました。私がヨルダンに初めて渡航したのは2015年で、その際に自分の中でかなりの衝撃を受けました。他のゼミ生と同じ家にならないように通訳の方と一軒一軒調査に行きました。一番衝撃的だったのは、一人暮らしをしているおばあさんの家を訪問したときのことです。半地下のような場所に家具が全くない状態で暮らしており、自分の食べ物も水もないようでした。もともと、家族と一緒に逃げてきましたが、生活が苦しく、家族はシリアに帰ってしまったそうです。しかし、おばあさんは体が弱く、帰ることができない状況でした。生き続けるくらいなら死んだ方がましだと言い、泣き叫んでいました。そのようなお話を聞く経験が初めてだったため、怒りや悲しさを感じた校外実習でした。

 3つ目は日本に帰国後、大学を休学してヨルダンに戻ったことです。校外実習でヨルダンの現状を知り、このまま卒業できないと思い、決めました。しかし、行くことを決めたものの金銭的に厳しかったため、トビタテ留学プログラムに応募をしましたが、選考に落ちてしまいました。その為、3つほどアルバイトを掛け持ちしてお金を貯め、自費で行くことにしました。そしてヨルダンに戻り、日本人が立ち上げた団体にインターン生として参加しました。その団体はシリアの紛争を止めようとするアドボカシー活動をしています。日本人がシリア紛争を止めようとしたとしても、多くの日本人はそもそもシリアがどのような国なのか知識がないため、シリア人にインタビューをし、その内容を発信する活動を行っていました。自分一人では解決できない問題ですが、何か行動をしないといけないという気持ちに駆られました。

 

 

↑首都アンマン市内の様子

 

 

▽どのようにヨルダンのインターンシップを見つけたのですか?

 インターン先の立ち上げに平山先生が携わっていたこともあり、先生から紹介していただき、ヨルダンでインターンシップを見つけることができました。

 

 

▽ヨルダンで生活をしてみて驚いたことはありますか?

 ヨルダンはムスリムのスンナ派の人たちが95%以上の国のため、あちこちにモスク(礼拝所)があり、1日5回のお祈りの時間があります。その時間にお祈りをするかどうかはその人の自由ですが、1日5回礼拝の時間を伝えるアザーンという声がスピーカーから流れてきます。その声が街全体に聞こえるレベルの大音量で、朝の4時ごろから流れてくるため、最初は驚いて起きていました。

 あとは、街中でじろじろ見られることが多いです。アジア人が少ないため、好奇な目で見られることが多いです。声をかけられることも多々あります。

 食事面では、甘くないヨーグルトをご飯にかけて食べていることに驚きました。同じ味が多かったり油を使ったりしている料理が多いため、ヨーグルトをかけて食べるそうです。今となっては、食事の際にヨーグルトがないと辛いと思うようになりました。また、ヨルダンの人は宗教の関係でお酒を飲まないため、その反動で甘いものを食べたり、煙草を吸ったりする人が多いです。

 

 

↑国土の大半は砂漠地帯ですが、春にはこうして新緑が生える場所もあります

 

 

▽インターン期間中はどのような場所に住んでいましたか?

 ヨルダンでは一人暮らしをする人が少ないため、家のサイズが大きいです。私は当時学生で、大きい家を借りるにはお金がかかるため、ルームシェアをすることにしました。ルームメイトはスペイン人でした。ヨルダンは一人当たりの使用できる水の量がワースト1位もしくは2位のため、国全土で水不足に陥っています。そのため、節水をするためにルームメイトと洗濯を一緒に回すことになりました。ある日、ルームメイトが洗濯を回していてくれて、その中を見たら彼女の外履きの靴と私の下着が一緒に入っていました。それはとても衝撃的な出来事でした。

 

 

▽大変だったことはありますか?

 家によって違うと思いますが、水圧がとても弱く、髪を洗えないほどの水圧でした。そのため、2Lの空のペットボトルを用意して、ケトルでお湯を沸かし、そのお湯をシャワー代わりにしていました。

 

 

大学卒業後の進路とキャリアを教えてください。

 大学卒業後、在学中から通っていたアラビア語の学校に継続して1年間通いました。その後、東京にて、某アラビア半島の国の大使館で2年働きました。客人の受け入れ、物品管理、電話対応、外交官の日本での生活に対するアシスト業務等を担っていました。元々、学生時代にJUNKO Associationでの活動や、横浜地域の中間支援NPOでのアルバイトを通じて、卒業後の進路としてNPO で働くことは選択肢の一つでした。しかし、多くは即戦力となる社会人経験者を採用するため、私は大使館で働きながら、NPOで働ける機会を探っていました。その時に、ヨルダンで既に知り合っていた現在の職場の同僚から声をかけてもらい、面接を受けました。そして、ヨルダンへの派遣員として採用をもらい、現在に至ります。

 

 

↑同僚たちと勤務先にて

 

 

▽現在のお仕事の魅力的な面と大変な面は何ですか?

 毎日が異文化理解の日々の連続で、日本では特に深く考えてこなかったことでも、こちらにいるとなぜそうなるのかと理由を考えたり、説明のつかないことに対して時には我慢をする必要があったりと、思考力と精神力が鍛えられる面でしょうか。また、NGO の仕事は国際協力の中では裨益者に最も近い立場になり得るので、直接声やプロジェクトに対するフィードバックを聴くことができ、それが自分にとって、この仕事を続けられるモチベーションの一つです。

 一方、多くのNGO派遣員がそうですが、契約はプロジェクトが実施されている間のみとなるので、安定した仕事とは言えません。次の仕事を得るため、常に自己研鑽が必要だと思います。また、周囲のNPO・NGOに対する理解の低さに驚くこともしばしばあります。例えば、ボランティアで続けていると思われていたり、一種の怪しさを持たれてしまったりすることです。この点は、当事者である私も、理解を得るための努力を続けていく必要があると感じています。

 

 

↑シリア難民が住むザアタリ難民キャンプの様子

 


▽社会人になるための覚悟とは何だと思いますか?

 学生の時と比べて、仕事でもプライベートでもより一層、責任が伴う判断をすることが多くなると思います。それに対し、主体的に考え、自分にとってベストな選択をできるように、日頃から情報収集や、気になることへのアンテナを張っておけたら尚良いのかと思います。

 

 

↑学校で事業進捗を確認する日もあります

 


▽あなたにとって国際学部とは何ですか?

 全く知らなかったアラビア語、アラブ圏の国々に対する興味関心を向けることができた初めての場所でした。在学中はJUNKO Associationやその他の課外活動にのめり込んでいましたが、そうした活動が授業の学びとリンクしたり、その逆もあったりと、ただ知識を身につけるだけではなく、実践に繋げることができる環境だったのは有難かったです。

 


▽在学生や読者にメッセージをお願いします。

 仕事を始めると、なんだかんだそればかりに気を取られてしまいがちなので、社会人になっても続けられるような趣味やスポーツ、ストレス発散法を学生時代から複数持っておけると良いと思います!

 

 

〇大竹菜緒
2013年、明治学院大学国際学部国際学科に入学。在学中は平山ゼミ所属、課外活動で学生団体JUNKO Associationの広報部の主任を経験。ゼミの校外実習で、ヨルダンの都市部に避難する難民の生活実態調査をしたことがきっかけとなり、翌年同国に10ヵ月滞在し、NGOでシリア難民の家庭訪問やアドボカシー活動に参画。現在、国境なき子どもたち(KnK)のヨルダン事務所にて勤務。