▽現在の研究分野は何ですか?
国際政治学、平和研究の中でも、軍縮研究、なかんずく核軍縮です。
今の国際政治体系は、戦争があり得るという前提で主権国家が軍備を保持する、古いシステムです。そうしたなかで、いかに戦争を過去のものとし、武力の行使が自制されるような、新しい世界政治を展望できるか、これが国際政治学の課題ですが、それには現実世界の冷静な分析が前提になります。
かつて砲艦外交という言葉があったように、他国に言うことを聞かせるために軍備が有用だとされた歴史があります。軍事力は従来、国力の象徴のように考えられてきました。それがまだ多くの人々の頭に染みついており、世界の軍事費は一兆9千ドルを超え、増え続けています。その一部でも、医療、福祉、教育に振り向けたら、どんなに世界は変わるでしょうか。
無くて済むはずの暴力を極力減らそうとするのが平和研究です。そして軍備は、敵を破壊することを役割とする基本的に暴力的なものだという性格を免れません。この暴力的な権力要素を減らしていくには、いったいどんな条件が必要なのか、現状はどこまで来ているのか。それを考えるのが、ぼくの研究分野です。
▽研究分野の魅力は何ですか?
国際政治学は、政治学の一つの領域です。まずは、この政治学が、大変興味深いのです。政治は、今の社会が社会であるために欠かせない人間関係の運用、主体間のはたらきかけです。それが時を経てパターン化して、制度をつくります。制度自体も変動します。
そうした政治現象を知的に認識するためには、人間という生き物への関心と理解が不可欠です。なので政治学には、年齢を重ねると共に理解が深まるという側面があります。このことは、おまえたち若い者にはわからないよ、と年寄りに言われているようで、ぼくも反発を覚えたものでしたが、真実に近いと思います。
それでは若者は政治学をやるべきではないということになるのか、というと、そうではありません。その逆です。
よくわからない、さっぱりわからない、だけれどもメチャクチャ気になる、おもしろい、と言うと、何を言っているんだ、と怒られそうですが、まさに、わからないからこそ、魅力があるのです。これは社会科学全般に言えることですが、まだまだわからないことだらけ。
そもそも「わかる」とは何でしょうか。わかっていなかった自分を脱ぎ捨てること、自分が「かわる」ことです。「わかった」自分は、前とは違う自分になっている。だから、ゾクゾク、わくわく、するんですね。(あるいは、わかってしまって、がっかりする、ということもあるでしょう。いずれにしても、わかっていなかった自分には戻れません。人生の時間は一直線です。)
その魅力を知らぬまま、生きていくのは、楽かもしれないけれど、つまらない。知ろうとしなければ、一生、知らないままでいることもできてしまいます。社会の一つの歯車として、カント風に言えば「未成年状態」のままで。
逆に言えば、自分を変えないような表面的な知識、自分の予断と偏見を強めるばかりの知識を増やすことは、本当の学びではないわけです。とりわけ人は、自分のそれまでの考えを補強するような知識を好んで求めますから、注意が必要です。
そうした自分をつくってきた社会と、その中で生きる自分という存在について、考えるのが、政治学です。わけもわからず流されていかないために、ある意味、皆が学ぶべき学問だと思います。
今の研究領域の「魅力」について述べれば、軍縮は disarmament という言葉の邦訳ですが、この言葉は「武装解除」とも訳されます。これは従来、勝者が敗者に強いることでした。そうではなく自らを武装解除することで、お互い平和的に共存共栄を図る、そんな世界にならなくては、核時代に人類はサバイバルできません。
軍縮という領域は、現実政治に深く関係しています。ぼくも自宅に帰ってからは意識しないようにしていますが、とくに核兵器をめぐっては、今、世界は非常に危険な状況にあります。ロボット兵器やサイバー攻撃といった新分野がそれに拍車をかけています。
冷戦が終結したとされて30年が経ち、もう核戦争による人類滅亡など心配しなくていいと誤解している人が多い今の方が、ある意味、冷戦期よりも危険が増しているとも言えるでしょう。核時代が始まって以来、いわゆる「終末時計」が最も0時に近づいているのは、今このときなんです。
だからこそ、そうした現実を何とか変えようと尽力している人たちがいます。外交官や国際組織、NGO関係者、ジャーナリスト、専門家、そしてごく普通の市民たち。なかには学生に紹介したくなるくらい魅力的で尊敬できる人もいます。現場で生き生きと前を向いている「人間」に出会えるということも、この領域を研究のフィールドとする魅力の一つです。
学問は、本当のことを知りたいという人間の営み、真理の追究です。これが素晴らしいのは、真理は普遍的だということ。どの国の人であっても、そこで話が通じるんです。対話できる、違いを含めわかりあえる、壁の向こうにも仲間がいる。そういう感覚も、醍醐味です。この分野に限られたことではないかもしれませんが。