▽現在の専門分野は何ですか?

研究テーマは大きく3つあります。

1つ目はタイを中心とした住民参加型の農村開発、特に住民組織化の方法です。住民が参加するためには住民が組織を作らねばなりません。

しかし組織化は簡単な話ではなく、住民を「組織化」する上でどの方法が最も適切か分かっていません。

例えば、農村によって住民の組織化のパターンは全く違います。あるAという組織化のパターンが上手にできる農村に対してBというやり方で入ってしまうと失敗してしまいます。日本の経験をそのままフィリピンやバングラデシュに持ち込んでしまうとうまくいかないかもしれません。

その国、地域の人たちの組織化は一体どういった仕組みでできるのか、というのを理解して働きかけないといけないのです。いわば、農村開発とそこに関わる住民の組織化の仕組みと方法論についての研究です。

 

2つ目のテーマは、政治的経済的弱者による組織的な政治参加、いわゆる社会運動といわれるものです。人々が抵抗したり抗議したりするとき、集団で行動しなければいけないのですが、それは住民が自分の地域をよくするために組織を作るのとは訳が違います。

地域住民の組織化は一緒にやれば地域がよくなるため、利益が見えやすい。ところが、デモや政府への抗議行動は、政府が非民主的な場合、危険な目に遭う可能性もあります。そうしたリスクがある中でいかにして人々は立ち上がるのかという点が、非常に興味深いです。

いまちょうどやっている研究が、タイの1970年代に起きた農民の社会運動です。貧しい農民たちが集まって、地代(小作料)の引き下げを要求しました。

この運動では40人以上の農民リーダーが殺されています。村で雑貨店を営んでいたあるリーダーは、買い物客を装った殺し屋に銃殺されました。結局この農民運動は押さえ込まれてしまうのですが、その運動はその後のタイ政治に大きな影響を与えました。その時立ち上がった農民や、支援に入った学生活動家からヒヤリング調査し、それを現在まとめています。

 

3つ目のテーマはタイの農業経済に関するものです。タイは様々な農産物を輸出していて、その農産物輸出には様々なアクター(アグリビジネス、輸出商など)や制度が関係しています。そういった制度やアクターが変化しながら、タイは農産物輸出大国になりました。その変化や制度の仕組みを研究しています。トウモロコシやお米など、品目ごとに少しずつ調べています。

私はずっとアジア経済研究所という研究所で調査研究をしていました。そこは共同研究会の仕組みをとっていたので、自分のやりたいことだけをやっていればよい訳ではなく、他の人とグループ作り、プロジェクト形式で研究します。3つくらい関心のあるテーマを持っていると、そのうちのどれかで共同研究ができるので、こういう研究スタイルになりました。

 

 

▽どの様にしてタイ語を学んだのですか?

私はアジア経済研究所に入ったとき、タイ担当を命じられましたので、タイ語を勉強し始めました。1989年からタイに2年間派遣され、最初はタイ語学校に通っていました。タイ語はいわば自分の「商売道具」なので必死に勉強しました。6ヶ月もすれば調査で使えるようになりましたよ。

最初の6ヶ月は首都バンコクにいて、そのあと東北地方の村に入ったのですが、その地方の言葉は東北方言(殆どラオス語)だったのです。私がタイ語で話しかけると理解してくれますが、村人が話しかけてくる言葉はラオス語でしたので、はじめ理解できずにいると、「ラオス語できないおまえ、ほんとだめだなー」と言われ、がっかりといった経験をしました。

その村には1年間滞在し、村人と一緒の生活をしながらデータ収集をしました。村長の家の1部屋を借りて住んでいて、村長は私のことを息子のように接してくれました。最初は農業経済や農業経営について調べていましたが、せっかく村の中にいるのですから欲を出して、人々の習俗や文化についても調べました。村のお祭りには全部参加しました。

今は村の生活環境は随分よくなっています。ゼミの校外実習で東北タイにいき行きますが、飲み水はペットボトルですからね。雨水を飲んでいた30年前と大違いです。私がいた頃の東北タイは、開発が進みつつある一方で、伝統的な生活習慣がまだ残っていて、食べ物の中にも虫や自然からの採集物がたくさんありました。伝統的な東北タイの姿が失われる直前を見られたような気がします。

 

 

▽学部生の頃はどのような学生でしたか?

学部は京都大学農学部で、その頃の京都大学はまじめに授業に出て勉強するといった雰囲気はありませんでした。勉強したけりゃ自分たちでするというのが当たり前でした。あの頃は、よい成績をとる人よりも、むしろ「このことについてはアイツの右に出る人はいない」というような人が尊敬されるようなところがありました。自由だけど、「自分はこれだ」みたいなものがないと不安にもなります。

授業外では、友達と自主ゼミを組織し一緒に本を読みました。明学の演習でやっていることを、自分たちでやっていたようなものです。1回生になってすぐにカール・マルクス(1818~1883)の『資本論』を読むゼミを作りました。友達と文庫版の『資本論』読みながら、「わっかんねーな」と苦戦していましたが、大学院の先輩がチューターとして解説してくれるようになり、読むのが楽しくなりました。農業経済についてもやはり自主ゼミを作って本の輪読をしていました。

農業研究会というサークルにも入っていて、平日週2回くらい集まって激論をしていました。血気盛んな議論を通して学ぶというのが私の学部生の頃には当たり前のような光景でした。そのサークルでは土曜日に野菜を作っていたので、校舎の裏を勝手に耕して野菜を栽培していました。

「堆肥作るための馬糞を取りに行くぞー」と言って、リアカーを私が引っ張って、1回下の京都女子大の学生と馬術部まで行き、リアカーに馬糞をいっぱい積んで、京都の通りをその女子学生と一緒に歩いていました。いま思い返せばかわいそうなことをしたものです。まあとにかく、京都大学は非常に無政府主義的で、私たちは自由にいろいろなことをしていました。

 

 

▽学生の間に読むべきおすすめの一冊を教えてください。

宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)ですね。宮本常一は民俗学者で、日本を津々浦々歩いた人です。戦前から本当に足で歩いて回って、各地の民俗や庶民の考え方を克明に調査しました。この本を読むと、日本人についての見方が変わると思います。

(取材日:2018/10/25)

 

 

〇重冨 真一(しげとみ しんいち)国際学科教授

地域社会開発論、住民組織論/一次産品論

京都大学農学部農林経済学科卒業後、同大学農学研究科農林経済学にて博士課程単位取得満期退学。後に、京都大学にて経済学の博士号取得。日本貿易振興機構アジア経済研究所で、主任調査研究員などを経て、明治学院大学国際学部国際学科に着任。

論文には『タイ農村の開発と住民組織』(アジア経済研究所)、

著書には『The State and NGOs:Perspective from Asia(共著)』(ISEAS)などがある。