▽この研究分野を志した理由は何ですか?

 研究分野に惹かれた理由については上に述べたので、質問の意味は、「研究を生業にしていこうと思ったのはなぜ?」ということでしょうか。だとすれば、もともと研究を自分の「たつき」とする、当時の言い方で「大学に残る」、ということは、当初の自分の選択肢にありませんでした。

 ただ、述べたような意味での政治学を学ぶこと、一定の方法を意識して研究をすることは、自分が生きていく上で続けていこうと考えるようには、なっていたんです。卒業後、どんな職業に就くかは別として、自分は一生、政治学を学びながら、いわば「町の学者」でやっていこう、と考えたのですね。

 これは、今の学生には想像しにくいかもしれませんが、1970年代の半ばには、学園闘争の余韻がキャンパスにまだ残っていて、象牙の塔にこもる大学教授たちを「ワルモノ」のように見ていたということもあります。そして大学に入った以上、本当の学問を身につけて、卒業後は世の中をよくするために働くのだ、という矜恃も、当時の大学生たちは(今の国際学部生も?)心のどこかに持っていました。

 やはり卒業が近づくと進路に悩んで、会社訪問にも行きました。が、どうも、これが自分の進む道だという感覚を得られず、かなり迷って、留年しました。当時は国立大学の授業料は安くて、自宅から通っていたぼくは、そういうことをしやすかったんですね。学士入学を含め、結局、2年余計に大学生をやりました。さすがに2年目は親と対立しましたが。

 手に職をつけておくべき、という意識はあって、アルバイトで襖張りをやったりしていた時期もありました。そして一時は通訳ガイドの免許を取り、その道で食べていく事も、真剣に考えました。通訳ガイドとは、お金を貰って外国人観光客に日本を案内する仕事です。国家資格を取得して初めて就くことが認められる職業で、試験合格者向けの研修にも参加しました。これはこれで、実に勉強になりました。

 そうしたなかで、相談に乗ってくれた先輩たち、励ましてくれた友達の存在は、大きかったです。そして何より、この人が歩んでいる道は、きっと正しい、この人を見習うべきだ、と思うことのできる恩師に巡り会えたことが決定的でした。

 考えていなかった「研究室に残る」ことになってからも紆余曲折があり、エピソードには事欠きませんが、多くの人に助けられ、導かれて、明治学院大学国際学部の創設に関わらせてもらえたのは、ありがたいことでした。